Days with Two Dogs うきんじゅはいんじゅ

2009年5月、沖縄在住時に運命的な出会いをし、里親になりました。沖縄の稲作発祥の聖地、受水走水近くにいた子達で、見た目も似ていて、最初から仲が良かったので、姉妹と思われます。他にも兄弟やお母さんがいたのかもしれません。お心当たりのある方は、教えていただけると嬉しいです。

田村山

では、次は、ダイジェスト後編でもったいぶった書き方になってしまった田村山についてちょっと詳しく書いてみようと思います。。。
 
琵琶湖を後にして間もなく、道の左に前方後円墳のような杜が見えてきました。
すぐ近くに、それよりずっと小さいけど、なんだかセット、というか、関連がありそうな杜もありました。
地図で調べてみると、この前方後円墳のような杜はどうやら、麓に忍海神社と八坂神社があるら小山だったよう。
地図には、古墳らしきことは何も書かれてませんでした。。。
 
その手前の琵琶湖のすぐ近くには田村神社というのがありました。
車を走らせていた時にふと目に留まったので行ってみると、田村神社、という、聞いたことの無い神社でした。
なんだ、村社か。。。お稲荷さんでもないし。。。と思いましたが、建物も、駐車場もなかなかしっかりした神社で、地元の人たちの信仰を集めている神社なのかな~。。。と思いました。
 
ネットで忍海神社を調べてみると、
「忍海神社(おしのべじんじゃ)
忍海神社は「諸神の岡」「多々岡」と呼ばれる田村山のふもとに位置するとても小さな神社です。」
という文章が出てきました。
上の、古墳のような小山は田村山というようです。
 
こんどは、「諸神の岡」というキーワードで検索してみました^^。
すると、以下のような書き込みが。(ここからがダイジェストで省略した興味深いお話。。。)
 
「日本初の女性天皇とは
 昨日、高野山へ行く途中で奈良県葛城市の忍海(おしみ)というところに寄った。ここに不思議な古墳がある。写真を見ていただくと分かるのだが、天皇陵として宮内庁が管轄しているのだが・・・。
 
飯豊天皇・・・宮内庁・・・とされている。ところが、公式記録にはこの天皇は存在していない。公式記録に存在していない天皇陵が宮内庁管轄で存在している。ここに大きな矛盾がある。なぜなのか?
 
この天皇の記録上の名前は、忍海部女王/青海皇女/飯豊女王/忍海部女王/飯豊郎女/忍海飯豊青尊/飯豊皇女/飯豊青尊/。
 
名前から類推すると、渡来系の忍海一族と関係があったものと思われる。忍海や青海とは「おうみ」すなわち「近江」つまり琵琶湖を意味する言葉。おそらく彼女は琵琶湖となんらかの関係があったものと思われる。滋賀県長浜市南部に田村山という丘がある。別名「諸神の岡」。この西の麓に「忍海神社」と呼ばれる村社がある。いくつかの神社が集められ、明治時代にこの名前となったといわれる。この神社との関係からも、飯豊天皇は近江琵琶湖と大きな関係があったと類推される。
 
しかし、彼女は女性。しかも推古天皇よりも古い時代の女性天皇。推古帝は今でこそ33代天皇とされているが、江戸時代は34代の天皇とされていた。たとえ短い期間であったおはいえ、自分の宮殿を持っていた天皇。それが第24代飯豊天皇。その天皇が公式記録から天皇として抹消され、それにもかかわらず天皇陵は存在し、天皇という名で宮内庁が管轄しているという矛盾。ここに何か秘められたものがるようだ。
 
日本で初めての女性天皇。この女性をどのように扱わねばならなかったのか、ここに日本史のミステリーがある。この天皇陵、実に入り口が分かりにくい。ここにも何かの意味があるのだろうか?単なる私の憶測に過ぎないのだろうか?
 
近江の忍海神社は我が家の先祖がお祈りしてきた神社。そこに縁を感じ、今回この天皇陵を訪れ、心より冥福を祈ってきた。」
 
。。。と、あれ、そういえば、私、奈良に行った時、葛城市に行ったわ。。。
道に迷ってぐるぐる走ってたから、もしかしたら、近くに行ってたかも。。。 そのせいで古墳に見えたとか~???
 
ちょっと気になった小山のお話でした♪